JCHの桜、咲いていました!!

JCHの皆さんを代表してコリア・デル・リオ市で開かれた第1回花見大会に出席してきました。去年みなさんが植樹した桜きれいに咲いていましたよ。ハポンさんたちとの感動の再会。我謝さん撮影・監督・編集のコンサートの記録映画の上映、そしてサラマンカ大聖堂で聴いた「天使の歌声」の響き、まさに感動の連続の5日間でした。

訪西初日
初日

約1年ぶりのスペイン。我々は先にマドリッド国際空港の Terminal 1に到着。5km離れた Terminal 4で我謝さんと合流。今回我謝さんは腕利きのカメラマン、マウリシオを連れてきていた。アトーチャ駅で時間をつぶし14:00発のAVEに乗って一路セビリアへ。セビリアからは貸し切りのバスに乗ってコリア・デル・リオに移動。コリアのホテル・グラン・アベニダに到着すると、フェルナンドそしてフアンフランなどのハポンさん7~8人が出迎えてくれた。
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訪西~初日・夜~
初日-夜-

ホテルでちょっと休んだ後(この間我謝さんとマウリシオはハポンさん達のインタビューに余念がなかったようだが)、コリア市一番のレストランにて我々のためにレセプションを開いてくれた。ここは昔ファンフランとマリアエレナが結婚披露宴をした場所とのこと。ハポンさんの主だったメンバーは勢ぞろい。おそらく彼等のほとんどが9月の風の環コンサートに参加してくれるのだろう。レストランの壁は一面グアダルキビル川の写真だ。つなげると大きな一枚の写真になる。コリアを象徴する風景写真に囲まれて、我々は大いに飲み食いしながら一年ぶりに旧交を温めた。そして、サプライズが…!マリアエレナの学友でプロのソプラノ歌手が我々のために歌ってくれたのだ。その声量といい、伸びのある音質といい、一流のソプラノ歌手と言っていいだろう。また、去年11月に一緒に箱根旅行を楽しんだフェルナンドの友人のラファイエルやローラらがコルドバやカディスから駆けつけてくれたのが本当にうれしい。
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訪西~二日目~
二日目

朝10:00に9月風の環コンサートの打ち合わせのために支倉像近くのバルに集合。打ち合わせもそこそこに第1回コリア・デル・リオお花見大会が始まった。地元の子供たちが一生懸命に作ってくれた桜の刺繍が公園を一杯に飾る。それが風に吹かれて揺れる様が何とも優雅で美しい。カルロス・デ・メサ公園の入口のあたりには出店のテントが並ぶ。日本の折紙、工芸品、「コリアに行ってきたよ」のTシャツ、そしてSushiなどが並ぶ。
去年植えた桜はどうなっているかが気になってまずは植樹した場所に駆けつける。咲いている!! 時期が過ぎていたので大部分の花は散ってしまっていたが、それでもそれぞれの木にわずかに花が残っていた。お花見の日まで必死にへばりついていたという感じだ。その心意気に感動だ。
モデスト・ゴンザレス市長の開会宣言があっていよいよお花見会の開始だ。まず地元の子供達の俳句の秀作が披露された。本人が詠んだ後、地元の歴史家今江氏が日本語に推敲したものを振付付きで披露した。袴姿が様になっていた。その後は子供たちのパフォーマンス。空手、キックボクシングと次々に飛び出してくる。そして最後にセビリア在住の日本女性が浴衣姿で艶やかに登場。何と「炭坑節」をバックに盆踊りが始まった。見物人たちも次々に参加し見様見真似で踊り始めた。日本人とコリア人が一緒に浴衣姿で炭坑節を踊る!こんなお花見風景を数年前まで誰が予想しただろうか?思わず胸が熱くなった。
そしてようやくお昼の食事。始めは青いシートに座るのを遠慮していた地元の人たちも、我々に倣って座って食べ始めた。でもやっぱり辛そう。固い土の上に直接敷いたシートに座るのは我々日本人でもかなりキツイ。これは改善の余地がありそうだ。
おにぎりや巻きずしに混ざって、地元の人手作りのエビや生ハムなどがシートに並べられた。うん、これぞハポンとコリアの融合だ。それにしてもこのお花見会を開催する準備にどれだけの人が関わりどれだけ時間がかかったことだろう。その暖かい心遣いにただただ感謝。単に“友情”以上の「何か」があると確信できた瞬間でもあった。
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訪西~二日目・夜~
二日目-夜-

その日の夕方からいよいよ市庁舎のホールで我謝さんの映画の上映会が始まった。映画の前に「サムライ・スピリット(武士道)」の五つの基本精神について話させてもらった(どうしてそんな気持ちになったのか今でもわからないが、たぶんサムライを自称するハポンさんたちに少しでも政宗の精神を分かってほしかったのだろうと思う)。仁、義、礼、智、信の5徳といわれる精神である。最後に「これらの精神は大事だが、しかし行き過ぎてもいけない」と説いた伊達政宗の偉大さを説明したつもりだが、果たしてコリアの人はどれだけ分かってくれたかな?
映画は、昨年合唱団「とも」がセビリア・コリア公演をひかえて練習に励む様子から始まって、現地で仙台から合流した「萩」とともに合唱コンサートや俳句交流会を通してハポンさんらと心が通い合う過程を追ったドキュメンタリーだ。400年前に政宗が派遣した支倉使節がここコリア・デル・リオに上陸し、その末裔といわれる「ハポンさん」を残した。400年を経て、そのハポンさんたちとの文化交流そして心の交流が始まった。その“奇跡”を「400年の夢」という形で問いかけた秀作である。90分の上映時間があっという間に過ぎ、大きな拍手が沸き起こる。会場を埋め尽くしていた人々の目には涙。でもその顔は一様に笑っている。感動でまさに胸が一杯という表情だ。隣に座っていたモデスト市長がまず私の腕を握りしめ、そして涙で言葉が出ない我謝さんの方へ近づいて行った。
「ビバ、コリア・デル・リオ!」「ビバ、ハポン!」 
私の頭の中でしばらくヨシの声が響き渡っていた。
夕食までの間、バルの外でビールを一杯。そこに結婚式を明日に控えた女性とその友達が通り過ぎた。どうやら「バチュラーパーティー」の女性版らしい。その新婦にせがまれツーショットと相成った。スペイン女性の積極性にタジタジ。
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訪西~三日目~
三日目

翌朝早くAVEでマドリッドアトーチャ駅にたどり着く。ここで我謝さんとマウリシオとはお別れだ。マウリシオはサムライ・スピリットの事、少しは分かってくれたかな。
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訪西~最終日~
最終日

マドリッドからバスで2時間半。旧市街がすっぽり世界遺産のサラマンカ。その美しさに圧倒される。サラマンカ大学はスペイン最古の大学。政宗を口説いて遣欧使節を派遣させ常長に随行した天才的策士ルイス・ソテロが神学、法学、医学を学んだ場所だ。進学試験に受かるのは昔から僅か7%。やはりソテロはよっぽど頭がよかったのだ。波乱万丈の生涯を送ったソテロ。彼がいなければ遣欧使節派遣という歴史的ロマンはなかった。歴史学者の多くは彼をボロクソに言うが、私は政宗を動かしたこの天才神父を大いに評価している。それはまた別の機会に。
サラマンカの街並みは洗練されていて上品だ。雑踏がない。街のどこに立ってもその周りの風景は「絵」になるのだ。
何年か前、NHKの番組でオルガン建造家の辻宏氏がサラマンカ大聖堂で200年も放置されていた「天使の歌声」と言われるパイプオルガンを修復したという事実を知った時からこのオルガンの音色を一度聴いてみたいと思っていた。その夢がようやく叶ったのだ。辻氏は「自分に修復させてくれ」と頼んだが、大聖堂側は「一介の日本人に国宝級のオルガンを任せられない」と拒み続けたらしい。辻氏はその後も諦めず申請を続けやっと10年後に修復の許可を得るも、修復費用は出さないと言われる。辻氏は数千万円という資金集めに奔走するが、それをサポートしたのが当時の美智子妃殿下だったという。美智子様は1985年に皇太子様とサラマンカを訪問されており、その時に幻の「天使の歌声」の話をお聞きにになったに違いない。
その後も美智子様はこのオルガンを聴きにサラマンカを訪れ、400年記念イベントでは皇太子様も訪れている。ある意味サラマンカは日西両国の皇室交流を象徴する街とも言える。サラマンカ大学の壁には1985年2月に明仁殿下と美智子妃殿下が訪問されたという碑文が赤い文字で記されている。
何と皇后様の前でオルガンを弾いたという専属のオルガニスト、ルイス・ダルダ氏(カスティージャ・イ・レオン州立音楽院教授)が今回わざわざ「天使の歌声」を弾いてくれた。最後には皇后様が座った席にせつ子が、大司教が座った席に私が座り、彼のオルガンを聴く事が出来たのだ!そして「NYから合唱団を連れてきなさい。一緒にここで演奏しましょう。」とまで言ってくれたのだ。
私たちは感動を胸にマドリッドへの帰路のバスに乗り込んだのだった。
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訪西~最終日~ <動画>

サラマンカ大聖堂のパイプオルガン「天使の歌声」の響きをお楽しみください。
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